2021/05/29

2005年4月25日に発生した兵庫県の尼崎市で発生した福知山線脱線事故から今日で丸17年経ちました。
当時の私はまだ小学生くらいでしたが、今でもあの日のことは鮮明に覚えています。
テレビで、電車がぐちゃぐちゃになっている映像。今でも本当に忘れません。
大人になり、私自身電車の運転士となり、やはり同じ鉄道員としてこの事故をよく調べるようになりました。その事を踏まえてメディアや大多数の人との考え方や運転士としての考えを去年のこの時期にも紹介したかと思いますが改めて紹介したいと思います。
まず、福知山線脱線事故の概要です。
発生時刻 9時18分頃
路線 福知山線(JR宝塚線)
事故種類 列車脱線事故
原因 運転士による速度超過 ATSの不備
日勤教育などの劣悪な労働環境
列車数 1編成(4+3両編成)
死者 107人(乗客・運転士あわせ)
負傷者 562人 ※wikipediaより
この事故は、制限速度70km/hの右カーブの区間を116km/hで進入し、先頭車両から5両分脱線しました。
おそらく、直接の原因はその速度超過かと思われます。
現在は、事故箇所にATSが設置されているそうですが、当時はなかったそうです。今でもこの大きさのカーブであれば私鉄も含めてATSが設置されてない可能性があるかと思います。ATSがあれば速度超過をした場合に非常ブレーキがかかり高速でカーブに侵入する可能性は低かったと思います。
ただ、前述の通りこの大きなカーブの場合、急カーブでも無いので簡単に脱線について想定されていなかったという可能性もあったのではないかなとも思います。いわゆる想定外の事故とも言えたのでは無いのでしょうか。
ちなみに私は制限速度を破って走行した事は無い(運転士としては当然ですが)ですが、おそらく決まった速度以上でレールを走行すると普通では感じられない様な揺れ方や衝動が脱線前に生じていたはずだと思います。
この事件について「日勤教育」という言葉が出るようになりまして、メディアや大多数の人が「運転士は日勤教育により精神的に追い詰められていた」「会社が全て悪い」「ミスで乗務を下ろすのは精神的苦痛にあたる」更には「運転士は悪くなかった」かのような意見もありましたが私は全くそうは思いません。
もちろん当時のJR西日本の日勤教育と言うのはパワハラなどに当たったり、ほか職員の前で始末書を書かせたりと問題はあったと思います。それで精神を病んでしまう人がいるのも事実だそうですし、その教育は間違っていたと思います。
だけど、脱線事故を起こした運転士の過去のヒューマンエラーなどを見ているとそもそも運転士に向いていなかった。もっと言えば電車を運転する資格はないと私は思います。会社側がすべき事は日勤教育以前に乗務から完全に降ろす事だったと思います。
例えば、当該の運転士は事故直前にもオーバーランのミスを犯しています。
京橋駅→尼崎駅:下り(各停)第4469M列車(JR東西線を尼崎駅まで運行) 加島駅直前の半径250 mの曲線の手前約99 mにて、ATS-Pによる常用最大ブレーキが1.8秒間作動。曲線制限速度いっぱいの65 km/hで曲線に入る。
尼崎駅→宝塚駅:下り回送電第回4469M列車(事故時と反対方向への回送列車) 川西池田駅 - 中山寺駅間で、閉塞信号機が進行にもかかわらず不自然に惰行し、10 km/h程度まで速度低下。 宝塚駅手前で場内信号機の停止現示を受けて手前で徐行していたあと、注意現示に変わると力行開始。現示制限速度の55 km/hを超えても力行カットせず、さらに分岐器にその速度制限40 km/hを超えた約65 km/hで進入。ATS-SWロング地上子(出発か)を踏んでATSベル鳴動するも確認扱いを行わず、非常ブレーキ作動し、進入ホームの手前端部付近で停止。ATS復帰扱いをし再起動するが指令に報告せず(報告義務あり)。 さらに同駅構内で、ATS-SW誤出発防止地上子を踏んでふたたび非常ブレーキ作動し停止。このとき、列車が場内に進入してから規定時間(44秒)を超えていたことから、誤出発防止地上子は即時停止情報を送出していた。なお、誤出発防止地上子により停止した場合は、指令への報告義務はない。 宝塚駅から折り返すため反対方向の運転室に移動するが、平均的運転士ではマスコンキーを抜いてから1分程度で運転室を出るものの、2分50秒ほどかかった。 ここまでいずれもダイヤ上の遅延は1分未満であり、大きく遅れているわけではなかった。
宝塚駅→京橋駅:上り快速電第5418M列車(事故列車) 北伊丹駅通過後、伊丹駅停止位置手前643 mで約113 km/hにて惰行時、ATS-Pの次駅停車予告アナウンスがあるもブレーキをかけず、手前468 mで約112 km/hのとき、Pの停車警報が鳴り、ブレーキをB7に入れる。停止位置で止まりきれずに44 mオーバーランしたときに車掌が車掌弁を引き非常ブレーキにより停止、72 mのオーバーラン。なお、運転士は直通予備ブレーキも動作させていた。その後、後退させて駅に停車。 伊丹駅を1分20秒延で出発後、車両及び線区最高速度の120 km/h±数km/hいっぱいで力行を続ける。塚口駅上り場内信号機手前で力行カットし、その後は微ブレーキを短時間操作したがほぼそのままの速度で惰行。事故現場の半径304 mの右曲線(70 km/h制限)に116 km/hで進入、脱線転覆した。 なお、北伊丹駅辺りから事故現場の曲線まで、おおむね線形は一直線状であり、最高速度で走行していても事故現場の曲線の手前までは線形速度制限により減速する機会はほとんどない。
wikipediaより
これが日勤教育を恐れた事が理由だとしても運転操作が異常すぎます。過去にも同様なことがあったかどうかは知らないですが、中小規模の鉄道会社でもすぐ降車させられるレベルです。まずオーバーランはミスじゃなく事故です。
じゃあ日勤教育は正しかったかと言われると、精神論だけではミスは減らないのは当然であって、過去にそれが原因で亡くなった人もいるそうです。
間接的にではありますが原因の一つとは思います。
ただ、だから運転士は悪くないのは大きな間違いで事故を起こしたのは運転士が直接的な原因で、悪くない理由は無いですよね。私なら絶対に起こさない。と言うよりも運転士ならばお客様の命が優先。
まあJR側は、命よりサービスを当時選んでいたように思いますが、その結果もあってこういう事故になったのかも知れません。
では、会社や運転士はどういう教育をさせるべきだったか、事故当日もどうするべきだったのかですが
まず、運転士に対して大きなミスがあった場合はやはり乗務から降ろす事が1番で「実務を伴う」研修が必須だと思います。
当該の運転士は、「また給料が下がる」というふうの発言をしていたと見ましたが、やはり普通の会社でだって仕事ができる人が出世して出来ない人とさがでるのがあるのと同様に、ミスがあれば重ければ処分が出ますし、その後の出世などに影響したりするのは会社なら普通にあることです。
会社は適切な研修を行うことで当該の運転士などミスを冒した運転士に対して、乗務を下ろしてでも研修を受けなければならない必要性をしっかりと理解させる必要があったと思います。
運転士は、当然ですが報告義務が発生した際にはきちんと報告すべきでした。いずれバレる嘘をなぜつくのか…
また運転経験が浅かったのもあり、脱線直前まで常用ブレーキを使用してたというのもあって、冷静な判断力も劣っていたと思います。
ただ、運転経験が浅い事が判断力が無いことは正当な理由にはなりません。
動力車操縦者免許を受け取った時から、老若男女問わずプロの仲間入りですので知識も冷静さもプロレベルでないといけないのです。
最後に事故の原因のひとつ回復運転に関してですが
回復運転は、減速位置や車両の特性など全てを知った上で行うべきなのですが、当該運転士は完全に理解しきっていたのか正直疑問です。
ということで色々書きましたが、私も気をつけながら今後運転士していきますし、今後このようなことがないように祈っています。